私は毎朝、早起きして壁にぶつかったり暗闇の中でランニング用のショーツを必死に探し、穿き替えて外に出てしばらく走るという習慣で一日を始める。それで家に戻ってすでに朝食中の彼女がテレビを点けていて「忘れ物はありませんね?今日もお元気で、いってらっしゃい」と、浦川さんたちの明るい声と赤崎ちゃんのエレクトーンの音が廊下を通って私が着替えている脱衣所まで聞こえると、なにか嬉しい。私はとくに芸能界に興味があるわけではないが、できるだけ多くの芸能人の名前とかやっていることなどを知っておくことは、様々な会話の場面で役に立つし、急いで朝御飯を済ませようとしている間に軽く見ている日は多い。
しかし、もうずいぶん前になるのだが、今月15日の火曜日に気になることがあった。というか、アナウンサーを本業としている人が年金基金の細部、またはその関連する政策や日本の財政問題全般の話をしている際に明確な事実を堂々と無視しながら大衆に向かって自分に有利なスタンスを示そうとしているのを見ると、私から見るとそれは情報を伝達する立場にいる人としては失格だと感じざるを得ない。
番組表の情報によると「支給開始年齢の引き上げの影響は?年金のギモン解決」と題するコーナーだった。
この番組ではよくあることだが、熱中症やら自転車に関する法律やらある話題のごく簡単な解説をタレントとある専門家が語り合いながらやるという設定で、朝の番組としてはふさわしい内容だろう。私は民法に詳しくないためこの前、自転車にブレーキが装置されていないと法律違反になると聞くと「あ、なるほど」とその真偽について特に疑うことなく鵜呑みにする。
ところが、年金の問題になると私が専門分野にしようとしている領域に近づき、片耳でしか聞いてなくともどうも無視できないことがある。
そのコーナーの流れ:
・浦川さんとゲストは一緒に年金制度を紹介する。どのような職業に携わるかによって拠出金の仕組みがどう違うかなど、その程度のけっこうわかりやすい説明。
・続いて、ゲストさんは「政府が財政問題を訴えてこういった案を挙げています」と給付金額圧縮案や支給開始年齢の引き上げ加速化などの案を解説した。
・それから、浦川さんが「実際にこれほどの心配に値する深刻な状態なのでしょうか?」と目的ありげに訊き出すのである。ここですべてが崩壊する。「実は…」ゲストさんが奮って後ろに移っている次のスライドを指差す。「実は…年金基金の運用利益の推移をご覧いただきますとわかるようにここ数年にわたって財政危機どころか黒字が出続けていますよ」と猛烈な微視的な観点からきわめて複雑な問題をおそろしいほど簡単化して結論付けを浦川さんに振った。それを受け、浦川さんは「そうですか…じゃあ要は日本の年金は心配することなんかないってことですかね」とふたりがロボットのごとく人工的な笑顔をむりやり見せて頷きながらCMに移った。
運用利益だけ。企業と個人が年々拠出してきた金額と毎年の給付額の比、あるいはこれから受給する側の膨大化と資金源である労働人口の萎縮について一切ふれず、みんなが見ている番組の中心となる人物が「問題なんかない!」とあからさまな嘘を述べると、正確な情報をほとんど持たない人はそれを正当な理由と受け止めて政府に対する不満が一段と強まっていく。情報弱者の不安感を煽る以外には何の効果もない。
もっとも、不安を感じさせることが山ほどあるし、行政の欠陥と無責任を指摘する何らかのメディアはなくてはならないものだが、先日のおは朝のコーナーはそもそも不可分な事実を議論から排して語っていたのだから情報源としては価値がない。誠実かつ保守的な男性として浦川さんは間違いなく多くの高齢者に人気があるだろう。そして、これから老後生活を迎えようとしている人だけが恐れる年金支給開始年齢の引き上げを根拠なく「不要やないか」と断言することは情報格差の濫用にほかならない。